正文 第32章 附錄三 ?烎~諸島関係年表(1 / 3)

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中國紀元 西歴 歴史事項

明洪武 五年 1372年 行人楊載は、太祖が元號を建てる旨の詔を中山王などに告げ、往路の途中で必ず釣魚諸島の島々を通過する。その後嘉靖年間まで計十回冊封使を遣わすが、公文書保存所が「回祿の変に遭い、焼けてしまい、殘存するもの無し」。

七年 1374年 靖海侯呉禎は、聖旨を奉じ舟師を率いて海上を巡邏し、福建の「牛山洋において倭寇に遭遇」、釣魚諸島海域に沿って、「倭寇を琉球大洋まで撃退、捕虜を京師に獻ず」。その後五百年來、琉球人から稱賛。

明永楽 元年 1403年 著作不明者が「長い年月が経ち、破壊された」「古書」を基にして、整理訂正した『順風相送』(注:英國ァ∶クスフォード大學ボドレアン図書館に所存)では、「北風が吹き、東湧から出航する時は、甲卯の針を用いると彭家山に方向を取る、甲卯及び単卯の針を用いると釣魚嶼に方向を取る。南風が吹き梅花から出航する時は、乙辰の針を用いると小琉球に方向を取る、単乙の針を用いると釣魚嶼の南辺に方向を取る、卯の針を用いると赤坎嶼に方向を取る……」と、初めて釣魚嶼、赤坎嶼(赤尾嶼)の名を記載。

明嘉靖 十三年五月十一日 1534年6月21日 冊封使陳侃の『使琉球録』は、伝世された公文書として最古のもので、初めて黃毛嶼(黃尾嶼)の名を下記通り記載。五月十日「釣魚嶼を過ぐ、黃毛嶼を過ぐ、赤坎嶼を過ぐ」。「十一日夕方、古米山が見えた。これは琉球に屬するものなり、夷人は舟で鼓舞し、帰郷を喜ぶ。同行した副使高澄の『操舟記』も、「古米山を以て琉球の境とする」と記載。

三十五年 1556年 嘉靖帝の「日本國王移諭」の旨意により日本に派遣された鄭舜功は、『日本一鑑。桴海図経。萬裏長歌』において、「釣魚嶼、小東の小嶼也」と、釣魚諸島が台灣の附屬島嶼であることを確言。

中國紀元西歴

四十年1561年明

嘉靖四十一年1562年

七年1579年

三十三年1605年明

萬暦三十四年1606年

三十七年1609年

明元年1621年天啓二年1629年

崇禎六年1633年

歴史事項

「海岸地理學の権威」である鄭若曾の『鄭開陽雑著』巻一「萬裏海防図」では、すでに釣魚嶼、黃毛山及び赤嶼を図中に編入。なお、冊封使郭汝霖の『使琉球録』では、「赤嶼は、琉球地方を界する山なり」と指摘、赤尾嶼及びその西側地帯が中國領であることを確認。

明の抗倭最高軍政長官である胡宗憲と地理學者鄭若曾の編纂した『籌海図編』では、釣魚嶼、黃毛山、赤嶼などの島嶼を防衛対象區域に編入。

冊封副使 ·謝傑の『琉球録撮要補遺』では、「往路は滄水より黒水に入り、帰路は黒水より滄水に入る」と記載、中國と琉球との境界線は赤尾嶼と久米島の間の「黒水溝」(今沖縄トラフ)であることを指摘。

吏部考功司徐必達は、「嘉靖時東南被倭最酷、而邇來関白豪強(豊臣秀吉を指す)輒剝我膚」に鑑みて、『乾坤一統海防図』と題記。釣魚諸島はいずれも我國の版図にあり、今の台灣基隆以東の海麵に位置。

明朝の冊封使 ·夏子陽は古米山が琉球西側の辺境と琉球人の確認を再度記載、「望見古米山,夷人喜甚,以為漸達其家」。更に、「水は黒水を離れ滄水に入る、必ずやこれ中國の境界」と強調。

この年、薩摩藩は琉球に侵攻し、人を派遣して琉球領土を測量したが、釣魚諸島への測量は言及されなかった。

茅元儀は「倭変を感じ、兵家の學を究め」、『武備誌』を編纂し、その「海防。福建沿海山沙図」は『籌海図編』の翻刻として、釣魚嶼、黃毛山、赤嶼などを「沿海山沙図」に編入。

兵部職方司の職であった茅瑞徴は、『皇明象胥録』の中で、「福建から(琉球に)行くと……古米山が即ち琉球の國境なり」と再度指摘。

冊封使。杜三策の従者胡靖が撰した『杜天使冊封琉球真記奇観』では、琉球辺境の古米山に到達した時に歓迎された盛況ぶりを記述。『琉球図』では、古米山を以て界とする。

中國紀元 西歴 歴史事項

明崇禎 十三年 1640年 中山王尚豊は、諮問の中で、琉球と福建との隣接関係を、「照得琉球世守東隅、休戚相関、毘連福建、壌綿一脈、天造地設、界水分遙」と指摘。

?年 ?年 明末、施永図編纂の『武備秘書』は、『籌海図編』「萬裏海防図」を簡略化し、巻二「福建海防図」に倭寇防衛のために釣魚山、黃毛山及び赤嶼等を中に収録。

清順治 七年 1650年 琉球親日派の首領である羽地朝秀(向象賢)が撰した琉球史書『中山世鑑』では、陳侃『使琉球録』の中の道中記載を全文収録し、「古米山が見えた。これは琉球に屬するものなり」の內容も収録。

清康熈 二十二年 1683年 冊封使汪楫の『使琉球雑録』では、「問[郊]之義何取?曰[中外之界也]」とあり、再度、赤尾嶼と久米島の間の「黒水溝」は即ち沖縄トラフであることを明言、當地を中國、琉球の天然の境界と指摘。