正文 「賛成です」と「賛成します」に関する一考察(2 / 2)

CNデータ例:

CN003-1 私は「公共の場所ではたばこを吸えないよう規則を作るべきだ」という意見に賛成する。

CN071-18 ぼくはたばこを吸わなくて公共の場所でたばこを吸うことを反対する。

一方、日本語母語話者の作文では、44編の作文、全709文のうち37例の態度表明文があったが、この37例のうち、「賛成」または「反対」が動詞述語として使われたのは4例のみで、ほかの89.2%に當たる33例は名詞述語として使用されている。この33例のうち、29例は「私」を主語として、「私は……賛成/反対(派)です」という形を取っており、4例は「私の意見/考え」を主語として、「私の意見/考えは……賛成/反対です」の形を取っている。以下、JPの名詞述語文の使用例である。

JPデータ例:

JP001-1 私は喫煙を規製することに賛成です。

JP033-5 両者の意見をふまえ、私自身の考えでは、基本的に規製に反対である。

このように、同じ語彙をもって同じことを表すのに、中國人の日本語學習者と日本人母語話者は大きな違いを見せた。

4.まとめ

文脈が用言を中心に展開していく日本語は動詞中心的とも言われているが、日本語の中では述語自體に名詞や名詞句が多用されている。「賛成」や「反対」などの動作名詞は、「する」をつけることによってサ行変格動詞になる。こうした「名詞述語文」と「動詞述語文」の選択肢のなか、平均文數はあまり差のないものの、日本語母語話者のほとんどは、文末で「名詞」を「述語」とした、コピュラ文の形を持って自分の意見を述べているのに対し、中國語母語話者は反対に、動詞述語文を持って自分の意見を表す傾向を見せている。

たった一つの事例に過ぎないが、このような傾向の相違が中國語母語話者の日本語が文法の上では間違っていないが、どこか違う、日本語らしくない、どこか違和感のある一因になっているように筆者には思われる。その原因はさまざまであろうが、ひとつには話者が文を産出する際の気持ちに日本語母語話者とは確かに違ったものがあるのではないかという気がする。この差異は何に由來するのであろうかというのは、今後の課題としたい。

參考文獻:

安藤貞雄(1986)『英語の論理?日本語の論理』大修館書店

池上嘉彥(1981)『「する」と「なる」の言語學』大修館書店

新屋映子(2003)「日本語の文末形式―中國人の日本語作文と日本人の日本語作文を比較して―」『鬆田徳一郎教授追悼論文集』研究社