3、外國歴史教育の具體的分野の情況に関する紹介
1980年代中期から、一部の歴史教育研究者は、日本や他の國の歴史教育における課程設置、教學大綱、課程の基準、教材、教學方法、教學評価などについて、次々と論文を発表した。たとえば、趙亜夫は「日本最新の歴史教育大綱」や、「日本の高校の新編歴史教材と教學目標およびその內容分析」などをテーマとして論文を書いた。
三、歴史教育國際交流の効果
30數年來、歴史教育の國際交流を通じて、私たちは次のような成果を得た。
1.歴史教育の発展を推進したこと
日本との歴史教科書交流において、日本人研究者からは、中國の歴史教科書での日本歴史解釈の観點が陳腐であると指摘し、日本學界での最新成果を採用するように希望した。そして、人民教育出版社は以後の教科書編集において、日本人研究者の合理的な意見を採用した。中國側も、日本の教科書における中國歴史解釈の不適切な観點や史実記載の間違いについて指摘した。日本側はこれについて研究を深め、教科書の敘述がより史実に合うように努力すると表明した。中國の人民教育出版社と日本の歴史教育関係者との交流は、雙方の歴史教育の改革を促進するのに、とても良い役割を果たしている。
2.國際理解を促進したこと
國際交流を通じて、各國の研究者と教師は互いに相手の歴史教育の狀況を知り、相互理解を強めた。たとえば、日本の教科書の地図は、中國の少數民族の自治區域を中國領域の外に描いているが、これは中國にとって受け入れがたいのである。日本の教科書がこのように地図を描いたのは主に、歴史上の民族問題に関する日本の認識が中國と違うからである。そして「東アジア歴史教育討論會」で、中國の代表は中國の民族政策、および歴史教科書における民族問題の記述を係統的に説明し、各國の研究者からの高い関心を呼んだ。これらの交流を通じて、各國の研究者は、認識上に差異がある問題について相互の理解を強めた。
四、歴史教育國際交流における不足の點
今までの交流は、ほとんど淺いレベルに止まっている。人民教育出版社のある専門家によると、日本の研究者と交流する時、日本から多くの資料を送られたが、日本語がわからないため、これらの資料は図書館に置いたまま、ほとんど読む人がいない。言語の麵の困難などによって、より深い交流は未だできていない。また、研究者が自ら他國の歴史教育現場を見學する機會が得られず、相手國の歴史教育に関する実感的認識を得ていない。
五、三つの提案
1.各國の歴史研究會の役割を十分に生かし、各國の歴史研究會によって順番に歴史教學國際シンポジムを開催し、他國の歴史教育現場の見學を行うこと。
2.歴史教育者の外國語レベルを高め、歴史教育のより深いレベルの國際交流のために基礎を作ること。
3.係統的に外國の歴史教育の基礎的文獻を翻訳し、本國の歴史教育者に豊かな參考資料を提供すること。
(區建英 訳)
冷戦後の中日経済交流
北京師範大學教授 李誌英
日中國交正常化以來、日中間の貿易はずっと互惠的かつ協力的な態勢を見せた。しかし、冷戦後にはいくつかの変化が現われた。特に中國の輸出品目の內、工業製品が増え始めたことである。2003年には、中國の対日本輸出は主に食品、紡績品、鉱製品、木材およびその製品、アパレル、電機·音響設備およびその部品等であった。日本の対中國輸出は主に電機·音響設備およびその部品、一般金屬およびその製品、自動車、航空器具·船舶および輸送設備、光學·醫療機器、化學工業およびその関連製品、時計·楽器などであった。
日中間の貿易品目に工業製品があるならば、二國間の競爭は生まれるのか。日中経済貿易の互惠·協力関係はこれによって変わるのか。